K氏への手紙
坂野 耿一
先日は色々話しましたが,もう一度整理する意味で便りすること
にします。働きながら絵をかいてきたあなたは,本格的にその道を
志し,これから美術学校に入りたいとの希望でした。しかし3年も
4年も学校に籍をおいて生活がやっていけるかどうか,それがあな
たに本当に役立つことなのかどうか,二人でよく話し合ってみるべ
きだと思います。
僕もそうですが初めはムチャクチャやっていた。絵がわかってく
るようになると本当は勉強しをければならないと思い,絵のかける
条件が欲しく,いくらかなりともそうした状況をめざすようになり
ましたが自らの才能に疑問をいだき筆を折らざるをえなかった。8
年間に五,六十枚のデッサンをした位,この間,結婚,子供,開拓
村での生活でいわゆる絵を中心とした生活は全くできませんでした。
けれども心では絵をかいておりました。自分は何をかこうか一応自
分なりの道をつかんだつもりで山を下り,街へでてきたのですが,
当時の画壇における美術思潮と自分の方向との何というちがい,批
評家のもてはやす系列には全く縁のない自らの作品を見出したとき,
時流に投ずべきか自己に徹すべきかに当面し,私は後の道を選んだ
のです。
4人の子供とくる日もくる日も粥とけづり粉とわずかの野
菜の生活,家族を含めての周囲からの批難の中で,描いては破り描
いては破る,1955〜60年にかけてやっと自分のものらしい絵をもの
にすることができるようになってくるのですが,多分に観念の強い,
主観の世界が内容となっているものです。抽象的な絵もかいたりし
ましたが,レアリズム美術の方向がどういう形で僕の内で確執とな
ってきたかについてはいづれ話す時もあるでしょうが−それは様
式の問題ではなく,生き方の問題であるということだけはいっておき
たいと思います。
つまり絵をかく条件というものは人間として自ら
の生活をきたえるためにどういう立場におくかということで,時間や
経済の解決のあとにやってくるものではないと思います。自らを苦し
みの生活に投ずるとき,自虐的な様相を絵に表そうとする時期があり
ます。しかし真実を大切にする人間においてはそれをのりこえるこ
とができるものです。心の真実を大切にしないようなアカデミック
(形式的)なデッサンというものはまちがっており,それは職人的な操
作なのです。どうしてこういうことでなければ先生の資格が与えられず
生活ができないのか,いえば真実への追求と心を売り渡すことでな
ければ生活に不自由をする,この社会のしくみに本当に対峠し,それ
を変革してゆく科学的な観点と行動をもつものにおいてはじめてデ
ッサンを云々することができると思います。
今の美術学校はミイラとりがミイラになるようにしくまれていま
す。だからといってあなたがその道を進まれることをとやかくいう
気はありません。しかしあなたの場合は賛成いたしかねます。あな
たは今まであをた特有の絵の道を歩いてきています。その上にたっ
てあをたの内部で培われ形成されてきたものを発展させるべきです。
絵をかくには素質と条件が必要です。恵まれたそれと,そうでないそ
れがあります。しかしそれは決定的な条件ではありません。大切な
のは真実への姿勢です。学校の絵の先生方の絵はもうたくさんです。
今必要なのは現実の社会の下に苦しみを余儀をくされ,そのことを
自覚し,それが変革の思想に結びついた体質的な作家です。そして自
分なりの才能をコツコツ築き上げてゆく感覚です。しかも自己の世
界に埋没しをいところの− それを具体的に形象することと思い
ます。
1969年3月
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