父を想う

坂野 心一朗

絵の題材を探しに父はよく裏山へスケッチに 出かけた。 「シン,行くか」 ひと声かけてサッサと出かけていってしまう父 のあとを,愚図の僕はあわてて支度をして追い 駆けていったものだった。 「あそこの黄色い花,覚えてるか,シン」 「見たことあるけど,忘れちゃった」 こうあっさり返事する僕に,父は笑いながら 「覚える気がないからだぞ」と言って花の近く に歩みより,丁寧に教えてくれた。道端のどん を小さを草花にも,立派な名前と生命のあるこ とを,父との散歩の中から,知らず知らずのう ちに感じとっていた。

デッサン:馬001

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花や雑草に対していつも変わらぬやさしいま なざしを注ぎ続ける父に,僕は限りない安らぎ を感じていた。ところがそのまなざしは,時と して恐しいほど鋭利に光り,僕を身振いさせた。 それは政治のしくみを批判するときであり,思 想を語るときであった。父の口調は時間ととも に厳しさを増し,いてもたってもいられなくな ると,うまい口実を見つけてその場を逃げだし たり,話題をそらせたりするのに苦労したもの だった。そんなときの父は,僕に語りかけると いうより,他の誰かに,もっと大きを何ものか に向かって激しく絶叫しているかのように見え た。

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父の絵を見ていると,父の心そのものが見え る。目が心の窓であるとすれば,父のあの二つ のまなざしの接点でゆれ動く微妙な心の葛藤が 創作の原点だったのではないかと思う。

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父のそばにいて見よう見まねで覚えた絵も, 今ではほとんど手がけることもなくなってしま った。絵の道を行こうとするならば父に追いつ き,父をのりこえなければならない。一時期強 烈に憧れた父への道も,サラリーマン稼業を長 年続け,世間の波にもまれているうちに,すっ かりその活力を失ってしまった。 このことは僕自身の心の退廃を意味している のだけれども,父の死を契機に父の存在の大き さを改めて知り,到底のりこえられそうにない 高い壁の前に茫然と立ちすくんでいるというの が,今の僕の姿といえそうだ。

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現在のサラリーマンの道は当分,否一生続く かも知れない。しかし父の歩んだ偉大な足跡を このまま風化させてしまうのは絶えられない。 父の残していった莫大を作品群を前にして,い つ終わるとも知れない作業にとりかかっている。 コツコツと−。 (昭和52年5月3日夕方)

引用書:グループ8月機関紙No.14「坂野耿一特集」1977年6月発行