坂野耿一の芸術

−試論−

林 文雄  (美術評論家)

複製で見るシャルダンの、母子像をともなう厨房図は、 本物で見ると思いがけなく小さいので驚くことが多い。 坂野耿一の絵もそれと似ている。葉書大の小品で充実し た大作の風格を見せているものが非常に多い。カンバス の切れ端にも心力を傾注して描かれ、そして粗末な手製 の額縁をつけただけの彼の油絵自体が、終生逃がれえな かった貧困にたいする彼のけなげな抵抗の証明のようで ある。

しかし彼が残していった絵には、「抵抗」などという言 葉で人々が連想するようを拮屈や欝陶の片鱗もなく、飾 りけのない自然や庶民の暮しによせる作者のやさしい愛 の凝視が流露している。報いられることを求めずにこの 世の底辺で労働し協力しあう衆庶の心がそのまま坂野耿 一自身の、つつましく深い歌声となって画面に結晶して いるのである。その歌声が深いのは、そこに局外者的な 感傷がなく、描く彼と描かれる人々の暮しの思いとの間 に隙間が全然ないためである。

彼がその生涯をかけて描いた多くの絵には微妙な作風 の推移が見えるが、若い頃の絵も晩年の絵もそれぞれに 美しい。若い彼が小さい画用紙にいくつも水彩で描いた 少女や、手をとりあう恋人の絵には、「愛」を求める作 者の心の揺らぎが清らかに、しかししたたかなデッサン カをもって、歌いあげられていて、心を打たれる。夏の 森かげの小川で水浴する群像を想像して描いた鉛筆画が、 何校もあるが、未完の名画を見るようにみごとである。 戦後まもなく抽象画のブームが始まった頃のものと思う が、彼はスケッチ・ブックの切れ端にまことにみごとな 抽象画の下図を着彩で試みている。「この方向でも俺 はやれる自信があるが、やはりもっと人生を描くことに しよう」−という作者のつぶやきが聞えるようだ。抽 象と具象の中間をかけぬけたようなもう1点の小品もあ る。奇妙な大きな獣に足をおさえられて絶叫する人間 を描いた絵で、まことに練達で喜劇味があふれているが、 これも彼が自分の能力をためす一つの実験だったらしく、 そこで幕が引かれている。一方、おそらく同じ頃のもの と思うが、掌大の画用紙に、野辺の土筆(つくし)の群 落や、 哀れな一匹のカマキリをおびやかす不良じみた4羽の鴉(からす) を水彩で描いた絵があるが、これも大 作の風格を見せる秀作であり、坂野のユーモアの深さの 証明となっている。

そのあと、坂野は、自分の多面的な才能の幾つかと別 れを惜しむようにして、その独自な油絵世界を創り出し て行くが、その過程で、彼の初期の試作に溢れ出そうと していた諧謔と青春の抒情の代りに、働く人々の労働の ヒロイズムと、疲れと、泥にまみれた手押車と、階段状 に掘り下げられている陶土の山と、場末の悪路に行きな ずむ庶民の姿などを、大人の円熟した目とブラッシュ・ ワークによって、あきることなく、みごとに追及しつづ けることになる。 電気工夫夜の溶接工の労働、 「灰色の風景(トロッコ)」と題した陶土の山−等々を主題に して傑作が、こうして次々に送りだされることになっ た。坂野の古典的円熟の時期であったと言えるだろう。 同じ系列の作品で「ポスターの前にて」というのも、彼 の傑作の一つであろう。こども連れの若い夫婦が、場末 のよごれた壁に貼ってある映画ポスターに、歩きながら 目を向けている絵で、作者の心の暖さがホテリのように 絵の中から吹きつけてくる。

そして、もう一群の、政治的・社会的主題の大作の系 列が−みごとを造形力をもって−生みだされていること に、私たちは心からの拍手を送らざるをえない。再起を ねらうファシズムへの痛烈な警告である 「中世・架を運ぶ人」 をはじめ 「赤い旗」 「ノー・モア」 「プロメテウス」 のグループである。赤旗の色を深く沈めることで美しい デモを描き、神々の残酷を白光の下で、裸者に鎖でつな がれて苦悶する人間の救い主のプロメテウスを描き、反 帝斗争で銃殺される民衆の血しぶきを−生理的不快感な しに−直視させてくれる「ノー・モア」を描くことで、 坂野は、同じ道を歩こうとして「非芸術」の悪名をおそ れる多くの仲間に自信をあたえてくれた。

彼がそれによって細々と生計を立てていたと言われる 小さい、しかし珠玉のような静物画も美しいが、その全 貌に接しられないのは心残りである。彼が愛する妹さん のために、永年想をこらして遂に完成した「人形の図」 も、人生の辛惨に疲れたやさしい愛の思いを歌い上げて いる。

今回の画集の出版を第一歩として、さらに充実した作 品集と、坂野芸術についての省察の深化を期待したいと 思う。

引用書:「坂野耿一画集」1980年1月発行(限定500部)