時代 区分 |
西暦 | 和暦 | 年齢 | あしあと(画業) | 日本のできごと | 世界のできごと |
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1917 | 大正6 | 出生 | 11月17日、旧名古屋市中区祢£ャに生まれる。本名鑛一。父鐡市23歳、母志づ18歳。4人兄弟の長男(妹冨美子、弟幹夫・博信)。 | ロシア革命(3月11日) | ||
1918 | 大正7 | 1 | 第1次世界大戦終わる(11月) | |||
1919 | 大正8 | 2 | ||||
1920 | 大正9 | 3 | ||||
1921 | 大正10 | 4 | ||||
1922 | 大正11 | 5 | ||||
1923 | 大正12 | 6 | 関東大震災(9月) | |||
1924 | 大正13 | 7 | 4月、市立笹島小学校入学。 | |||
1925 | 大正14 | 8 | ||||
1926 | 大正15 | 9 | ||||
1927 | 昭和2 | 10 | 金融大恐慌。失業者増大 | |||
1928 | 昭和3 | 11 | ||||
1929 | 昭和4 | 12 | 世界大恐慌(10月) | |||
1930 | 昭和5 | 13 | 3月、市立笹島小学校卒業。4月、愛知県立商業学校入学。 | |||
1931 | 昭和6 | 14 | 満州事変(9月) | |||
初期1 | 1932 | 昭和7 | 15 | ☆この頃から油絵を始め、3年間で20枚ほど描く。美術誌の切り抜きに没頭し、鍬形寫ヨ(1764〜1824)の職人絵に感動する。 | 5.15事件 | |
1933 | 昭和8 | 16 | ||||
1934 | 昭和9 | 17 | 室戸台風(9月) | |||
初期2 | 1935 | 昭和10 | 18 | 3月、愛知県立商業学校卒業。4月、京都の川崎商店へ勤務(丁稚奉公)。☆勤務のかたわら独学で絵の勉強を続ける。 | ||
1936 | 昭和11 | 19 | 2.26事件 | |||
1937 | 昭和12 | 20 | 日華事変(7月) | |||
1938 | 昭和13 | 21 | ||||
初期3 | 1939 | 昭和14 | 22 | 7月、京都の川崎商店を辞め(21日)、独立美術協会の研究所へ通う(25日〜)。京都帝大の夏期講習にも参加し、芸術を追求する喜びを大いに抱く。9月、名古屋に戻る。11月、第3回自由美術展に出品し「奨励賞」をもらう(「裸体群像」30号)。 | ||
1940 | 昭和15 | 23 | 5月、「美術創作家協会(旧自由美術家協会)展」を見に、上京する。瑛九(1911〜1960)の感化を強く受ける。☆この頃、農村に出かけミレー(1814〜1875、フランスの画家)を思わせる多くのパステル絵を描く。 | |||
1941 | 昭和16 | 24 | 開戦、真珠湾攻撃(12月) | 太平洋戦争始まる(12月) | ||
教職期 | 1942 | 昭和17 | 25 | 4月、市立第3高等小学校の助教師となる。 | ||
1943 | 昭和18 | 26 | ||||
1944 | 昭和19 | 27 | ||||
開拓地 (江島) |
1945 | 昭和20 | 28 | 2月、奥三河の一宮村(当時、愛知県宝飯郡)に入植する。 | 熱田神宮空襲で炎上(3月)。名古屋城空爆で焼失(6月)。広島・長崎に原爆投下(8月)。二科会再建(11月) | 第2次世界大戦終わる(8月) |
1946 | 昭和21 | 29 | 文展を日展として開催(3月)。日本国憲法公布(11月) | パリ平和会議(4月) | ||
1947 | 昭和22 | 30 | 4月18日、浅田よしゑ(大正9年1月24日生)と結婚。 | 日本国憲法施行(5月) | 米、マーシャルプラン発表(6月) | |
1948 | 昭和23 | 31 | 2月23日、長女由樹子誕生。 | 新民法施行(1月) | 世界人権宣言(12月) | |
1949 | 昭和24 | 32 | 4月8日、長男心一朗誕生。 | 平事件(6月)。下山事件、三鷹事件(7月)。松川事件(8月) | ||
1950 | 昭和25 | 33 | 10月23日、二男田香至誕生。☆この頃、農夫・子供・草花・家畜・風景などの多くのデッサンを描く。 | 朝鮮動乱始まる(6月) | ||
1951 | 昭和26 | 34 | 3月12日、父鐵市が亡くなる(58歳)。 | マチス展(3月)。ピカソ展(8月)。対日平和条約・日米安全保障条約調印(9月) | 朝鮮休戦会談開始(7月) | |
1952 | 昭和27 | 35 | 1月3日、二女四方子誕生。 | メーデー事件(5月) | 米、大統領にアイゼンハワー当選(11月) | |
大高 (江明) |
1953 | 昭和28 | 36 | 12月28日、経済的困窮、子供の教育を考えて開拓村を出ることを決意し、妻よしゑの実家の一角(はなれ屋)に転居する。 | 奄美大島返還(12月) | |
1954 | 昭和29 | 37 | ☆この年から画家としての創作活動を始める。水彩画・デッサンを多く描く(水彩・コンテ・鉛筆・パステルなど様々な素材を試みる)。また陶芸も試みる。 | 死の灰問題、ビキニ島原爆実験(3月)。洞爺丸事件(9月) | ||
1955 | 昭和30 | 38 | ☆ガラス絵を始める。 | 広島で原水爆禁止世界大会(8月) | アジア・アフリカ(バンドン)会議(4月) | |
1956 | 昭和31 | 39 | ☆町の文化サークル育成に努める | 砂川事件(10月)。☆この年、神武景気 | ハンガリー暴動(10月) | |
1957 | 昭和32 | 40 | ☆春頃から抽象画デッサンを試みる。ゴヤ(1746〜1828、スペインの画家)的ともいわれる痛烈な風刺画を描く。 | ソ連、人工衛星打ち上げに成功(10月) | ||
1958 | 昭和33 | 41 | ☆貧困厳しく三度の食事にも困る状態が続く。喫茶店などで小品を並べる。人形劇団「きのこ」結成(3月)。 | 1万円札発行、東京タワー完成(12月) | 米、人工衛星打ち上げ(1月) | |
1959 | 昭和34 | 42 | 3月、第1回個展を開く(愛知県美術館、油絵17点)。☆家族の皆が何らかの栄養失調に陥っていく。コーラスグループ「コーラスエコー」発足。 | 伊勢湾台風(9月)。☆この年、天の岩戸景気 | チベット暴動(3月)。ソ連の宇宙ロケットが月に到着(8月) | |
1960 | 昭和35 | 43 | 3月、第2回個展を開く(名古屋市栄地下画廊、デッサン39点)。6月、第3回個展を開く(名古屋市栄地下画廊、デッサン29点)。12月、第4回個展を開く(名古屋市毎日ビル銘菓センター画廊、油絵21点)。☆人形劇とコーラスを、クリスマスなどに養護施設や公民館を巡回し公演する。 | 全学連羽田デモ事件(1月)。衆議院で安保条約を強行採決(5月)。浅沼稲次郎刺殺(10月) | ソ連、太平洋へ長距離弾道ロケットを発射(1月)。米、大統領にケネディー当選(11月) | |
大高 (鷲津山) |
1961 | 昭和36 | 44 | 6月、第5回個展を開く(名古屋市毎日ビル銘菓センター画廊、油絵22点)。10月、当地改築のため、鷲津山の麓の三軒長屋に転居する。9畳のアトリエを構え大作を生み出す準備にかかる。「ノーモア」シリーズ・「知多の丘」シリーズを描き始める。 | ソ連、人工衛星船に成功(4月) | |
1962 | 昭和37 | 45 | 1月、第6回個展を開く(名古屋市毎日ビル銘菓センター画廊、油絵23点)。「グループ8月」結成に参加する。 | 貿易の自由化88%となる(8月) | 米、人工衛星船に成功(2月) | |
1963 | 昭和38 | 46 | 1月、第7回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵22点)。9月、第8回個展を開く(名古屋市栄地下画廊、油絵22点)。「灰色の風景」シリーズを描き始める。 | 裏日本一帯に豪雪(1月) | 米、ケネディ大統領暗殺(11月) | |
1964 | 昭和39 | 47 | 1月、第9回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵25点)。☆家の前の土手(荒地)を耕し花を咲かせる。 | 新潟大地震(6月)。原子力潜水艦が佐世保に入港・東京オリンピック(10月)。☆ミロのビーナス展 | 中国、核実験実施(10月)。米、大統領にジョンソン当選(11月) | |
1965 | 昭和40 | 48 | 1月、第10回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵25点)。3月、地域の新聞に郷土の画家として紹介される。7月、第11回個展を開く(名古屋市毎日ビル銘菓センター画廊、油絵32点)。 | 日韓条約案件を強行採決(11月)。☆ツタンカーメン展 | 米、北ベトナムの爆撃を開始(2月) | |
1966 | 昭和41 | 49 | 1月、第12回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵20点)。 | 赤字国債を発行(1月)。☆政界に黒い霧問題が深まる。公害深刻化 | 中国文化大革命(2月) | |
1967 | 昭和42 | 50 | 1月、第13回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵25点)。6月、第14回個展を開く(大名古屋ビルギャラリー、油絵24点)。地域の新聞に載る。 | 美濃部亮吉、都知事に当選(4月) | 中東戦争始まる(6月)。米、デトロイト市に黒人暴動(7月) | |
1968 | 昭和43 | 51 | 1月、第15回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵25点)。6月、第16回個展を開く(大名古屋ビルギャラリー、油絵20数点)。 | エンタープライズ号が佐世保に入港(1月)。小笠原諸島が日本に復帰(6月)。沖縄主席に屋良朝苗当選(11月)。☆この年、大学紛争さかん | 米、黒人暴動指揮者キング牧師暗殺(4月)。北爆全面停止(10月) | |
犬山 | 1969 | 昭和44 | 52 | 1月、第17回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵24点)。4月、長屋取り壊しのため、妻よしゑの実妹正子宅に転居する(正子一家は横浜に赴任中)。 | ☆この年、高校学園紛争さかん | 米、アポロ11号で人類初の月面歩行(7月)。米、ソンミ虐殺事件暴露(11月) |
1970 | 昭和45 | 53 | 1月、第18回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵21点)。☆前庭に花を植える。 | 大阪で万国博覧会開会(3月)。日米安保条約自動継続(6月)。沖縄コザ市で反米運動(12月) | ポーランド暴動(12月) | |
1971 | 昭和46 | 54 | 1月、第19回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵20数点)。☆この頃、シャルダン(1699〜1779、ロココ時代のフランスの画家)を思わせる日常の静物を多く描く。 | 沖縄の毒ガス第1次移送(1月)。大阪府知事に黒田了一当選(4月) | 東パキスタン内戦(3月)。米、ドル防衛対策(8月) | |
猪子石 | 1972 | 昭和47 | 55 | 1月、第20回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵20数点)。5月、当地改築のため、名古屋市営猪子石荘に入居する。☆団地の子供たちに絵を教える。児童画の研究に没頭する。地域の政治活動にも積極的に取り組む。 | あさま山荘事件(2月)。沖縄日本復帰(5月) | 米、ウォーターゲート事件(11月) |
1973 | 昭和48 | 56 | 1月、第21回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵20数点)。☆団地の花畑に花を植える。 | 金大中事件(8月)。買い溜め騒動起きる(11月)。☆悪性インフレ進行 | 米、ベトナム撤退(3月)。中東戦争石油危機(10月) | |
1974 | 昭和49 | 57 | 1月、第22回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵20数点)。3月、第23回個展を開く(沼津市ギャラリーほさか、油絵他46点)。☆団地の「子ども会」活動に献身する。 | 三菱重工本社爆破事件(8月)。「文芸春秋」田中首相の金脈・人脈をあばく(10月)。☆モナ・リザ展。不況深刻 | ソ連、ソルジェニツィン国外追放(2月)。米、ニクソン辞任、フォード大統領昇任(8月) | |
1975 | 昭和50 | 58 | 1月、第24回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵20数点)。☆団地の「自治会」活動に献身する。 | 美濃部亮吉再選、黒田了一再選(4月) | ベトナム完全解放、30年戦争終わる(4月) | |
1976 | 昭和51 | 死去 | 1月、第25回個展を開く(名古屋市毎日ビルホルベイン画廊、油絵20数点)。1月11日、病床で個展を見守りながら名古屋大学医学部付属病院にて58歳の生涯を閉じる(病名:クモ膜下出血)。 |
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